清朝雍正帝(ようせい)の治政下、第四皇・子弘暦(こうれき)は自身の妻を選ぶ「福晋選び」に幼なじみの青桜(せいおう)を招請する。福晋選びの当日、母である熹貴妃(ききひ)の期待に反して、弘暦は青桜を正室である嫡福晋に選び、その証しの品の如意を授ける。同じ頃、雍正帝は第三皇子・弘時(こうじ)の二心を疑い皇籍を剥奪、続いてその母である皇后・烏拉那拉(ウラナラ)氏にも生涯禁足の刑を言い渡す。更に雍正帝は皇后の姪にあたる青桜との婚姻を考え直すよう弘暦に強く迫るのだった。(#1「如意の行方」より)
主人公・如懿のモデルとなった女性。孝賢純皇后の死後、清の第6代皇帝・乾隆帝の2番目の皇后となる。しかし1765年、乾隆帝に付き添い江南巡行をしていた際に突然北京へ戻されると、皇后の地位を取り上げられてしまう。翌年に彼女は亡くなるが、皇后にふさわしい葬儀は行われず、皇后ではなく皇貴妃の墓所に埋葬され諡号も与えられなかった。その理由は「皇帝の意に背き自ら断髪(満州族の風習で、宮中では皇帝や皇太后が亡くなったときに行われる)した」と歴史書に記されているが、なぜ断髪をしたのかについては書かれておらず、真相は謎に包まれている。