時代背景
オスマン帝国
オスマン帝国は、14~20世紀初頭まで存在した、現在のトルコ共和国アナトリア地方に建国されたイスラム教の大帝国。アナトリアからバルカン半島、地中海にも進出し、領土を拡大。15世紀中頃にはビザンツ帝国(東ローマ帝国)を滅亡させ、第10代皇帝スレイマンが治める16世紀に最盛期を迎える。帝国の躍進は「オスマンの衝撃」と呼ばれ、西欧キリスト教世界に大きな脅威を与えた。しかし、17世紀末からヨーロッパ諸国の侵攻、アラブ諸民族の自立などによって領土を縮小させ、次第に衰退。19世紀に近代化をめざす改革に失敗すると、挽回を図った第一次世界大戦では同盟国側に加わって敗北。1922年、トルコ革命によって600年あまり続いたオスマン帝国は滅亡した。
帝国の衰退を招いた
「女人の統治」
16世紀後半から17世紀半ばにかけてのオスマン帝国は「女人の統治」と呼ばれ、ハレムの女性たちが宮廷内外の諸勢力と結託し、国政に干渉した特異な時代として知られている。この流れをつくったのが第10代皇帝スレイマンの寵妃ヒュッレムであった。彼女の死後も娘のミフリマーフをはじめ、ヌールバーヌー、サフィエ、ハンダン、ハリメ、キョセム、トゥルハンといった皇帝の母や妻が権力を握る時代が続いた。こうした状況は皇帝の求心力低下を招き、帝国衰退の元凶になったといわれている。
キョセム・スルタン
第14代皇帝アフメト1世の妃で、第17代皇帝ムラト4世と第18代皇帝イブラヒムの母。ギリシャ出身で、本名はアナスタシアであったとされる。オスマン帝国のハレムへ入ると、その美貌からアフメト1世の寵妃となり多くの子供を産んだ。アフメト1世の死後、自身の子供2人が皇帝に即位すると、母后(ヴァーリデ・スルタン)として権力を掌握。ハレムを支配するだけでなく、宰相や大臣、軍人にまで影響力を広げ、政治にまで介入するようになる。イブラヒムの退位後に即位した孫メフメト4世の時代も摂政を務め、権力の絶頂にあったキョセムだったが、メフメト4世の母トゥルハンと対立。最期は宮廷闘争に敗れ、1651年に暗殺された。
※ドラマの舞台はアフメト1世の即位からキョセムの死までの約48年間
年表